目黒区保育園 | 双葉の園保育園

ごあいさつ

双葉の園の創立の頃から

 双葉の園の創立には、1923年の関東大震災が深くかかわっています。
 双葉の園の初代理事長であった本田トヨは、関東大震災の際に、震災の直後から救助と支援に奔走し、翌年の3月まで毎日支援活動を続けていました。その後は、大変な不景気で、生活できない人々が遊郭に娘を売るという時代になりました。そこで、本田トヨは、キリスト教婦人矯風会の人々と共に、遊郭から逃げ出した娘達を保護し、こういう人たちを救いだす運動をはじめ、暴力団や遊郭の楼主との交渉などいろいろ面倒な事に取り組みました。その頃の話は、初期の社会福祉関係者の間では名高く語り伝えられています。
ここから始まった運動に共感する人たちと始めたのが、婦人生活文化協会で、1931年に家庭学校(通称、花嫁学校)と授産・購買組合、それに付属の双葉の園幼稚園を創設しました。
 婦人生活文化という名称は、すこし大げさな気がしていましたが、2代前の理事長、本田早苗(本田トヨの長男)が、「もう、法人の名前を変えよう。」と、しわがれ声で云いながら、この名称について話してくれました。「おふくろは、保育園の経営よりももっと大きな構想を持っていた。婦人生活文化協会という名称は子どもから老人までの女性に関わる大きな事業になるはずだったんだが、おふくろは、母子福祉に関わる人たちの中でも、特に発言力があって行動的な人だったから、婦人生活文化協会の構想を持ちながら、もっと大きくその理想を実現しようとして、国政に働き掛けた。(母子保護連盟、未亡人連盟という組織を結成し、遺家族、罹災者、失業者、150万人の戦争未亡人の生活安定、子女の教育等に力を尽くした。)1948年には児童福祉法が制定されたが、これは、おふくろが大いに働いたおかげだよ。
しかし、今では経営しているのは保育園だけだからな・・・。婦人生活文化協会という名前は実態と合わないよ。」というわけで、法人の名前は、保育園とおなじ「双葉の園」になりました。
 双葉の園は創立86周年を迎えましたが、最近10数年で保育と保育を取り巻く環境が大きく変わってきました。以前は将来の少子化が懸念されていましたが、近頃は、待機児童の問題、幼保の一体化、総合子ども園構想などが出て来て、目黒区でも毎年のように新設園が出来ました。
 双葉の園も、園の飛び地を活用して新しく野のゆり保育園を新設しました。定員46人の小さい保育園です。

◎ 1931年当時の規約には、
一、家庭学校、  (日課ヲ定メ料理、家庭療法、和洋裁、編物、生花、手芸等ノ教授)
二、授産ト購買組合(収入ヲ増シ支出ヲ減ジ以テ倹約ヲ奨励ス)
三、《 隣保事業  双葉ノ園ハ学齢以下ノ幼児ノ基礎教育ニアタル。》とあります。

 私たちは、どのように社会と保育を取り巻く状況がが変化しようとも弱い立場の人たちを援助しようと理想をもって闘った創始者たちの思いと志を受け継いでいきたいと願っています。

                       園長 西 大記

園について
名称 社会福祉法人双葉の園 双葉の園保育園
所在地 〒153-0044
東京都目黒区大橋2-16-6
TEL 03-3465-0270
FAX03-3465-7305
創立者本田 トヨ

キリスト教婦人矯風会会員・全国母子保護連盟
(現・全国社会福祉協議会母子福祉部会)初代会長
【アクセスマップ】
歴史・沿革
令和元年7月双葉の園の沿革
創立者 本田 トヨ キリスト教婦人矯風会会員として福祉活動に従事

1931年 目黒区東山に『双葉の園』・「家庭学校」(通称花嫁学校)と付属の双葉の園幼稚園を設立。
1944年 第二次世界大戦で建物消失、事業を閉鎖する。
1945年 戦災、引き上げ母子の住居確保のために旧陸軍兵舎を借り受けて改造し母子寮を設置、同時に生活安定のための授産場を設立。
全国的に母子保護を訴え、政府に要請。母子保護連盟を結成し、戦災遺族、引揚者、傷病者のための法的措置設置のために全国的に活動を行う。
1948年 目黒区大橋の現在の地に「双葉の園」再建                       1952年 ベビーブームの子どもたちが幼児期を迎え、双葉の園の園児数400名を超える。双葉の園別館落成                    1970年 鉄筋コンクリート5階建に改築、2歳児保育開始                    1990年 1歳児保育開始             2002年 園舎改築落成、(旧園舎老朽化の為)0才児保育、延長保育、一時保育を開始
2006年 法人名を 社会福祉法人 婦人生活文化協会から社会福祉法人 双葉の園に変更
2011年4月  新園舎増設、産休明け保育実施
2011年10月 一時保育室設置
2017年3月  野のゆり保育園落成
2017年4月1日 野のゆり保育園設置、認可
2019年7月1日 子育て広場 小さい花の家設置

施設規模
☆ 敷地面積 3489,64㎡    延床面積1,380,21㎡
大園庭  548,47㎡
小園庭  224,10㎡




双葉の園の歩み

 双葉の園は、1931年に目黒区上目黒六丁目(現東山一丁目)にあった警察宿舎内に建てられました。当初は家庭学校(通称、花嫁学校)と授産・購買組合があり、家庭学校では、加藤シヅエ(婦人解放運動家、初の女性衆議院議員)が公民の授業を受け持ち、後に市川 房江(婦人参政権運動を主導、参議院議員)がそのあとを担うなど、驚くほどの人材が集まりました。付属の双葉の園幼稚園が建てられました。

創立者の本田トヨは、キリスト教婦人矯風会会頭の矢島梶子(横井小楠義妹・女子学院初代院長)の薫陶を受け、弱者救済、廃娼運動を行うなど社会福祉事業の活動をし、婦人生活文化協会を設立しました。
婦人生活文化協会は、女性の教育を行い、女性が安心して働ける職場を作り、幼稚園、下校後の小学生の保育、老人ホームなどを設立することを考えて創立されました。
戦後、家庭学校の卒業生の多くが戦争未亡人となり、家庭学校の焼け跡に頼ってきましたので、本田トヨは、母子保護連盟、未亡人連盟という組織を結成し、遺家族、罹災者、失業者、数十万人の戦争未亡人の生活安定、子女の教育等に力を尽くし、社会に働きかけ、国政に働きかけることで、当初の夢をある程度実現しました。
1948年には児童福祉法が制定され保育園制度と母子寮制度が出来ました。これには本田トヨの働きが大きかったという事を聞いています。
保育園制度ができた年に、双葉の園も保育園になり、母子寮もできました。保育園になったものの、幼稚園も継続していましたので、今でいう子ども園のような形態が長く続きました。
2002年に園舎の新築があり、母子寮は設立当初の目的は果たしたとして廃止になり、現在は保育園のみ経営しています。

法人の名前も婦人生活文化協会では実態と合わなくなりましたので、保育園とおなじ「双葉の園」になりました。
保育と保育を取り巻く環境が大きく変わってきましたが、私たちは双葉の園の創立者の思いを受け継ぎ,弱い立場の人を援助し子どもの成長を大切に見守っていく姿勢は貫きたいと考えています。

二代前の園長の本田早苗は、目黒区に学童保育の必要性を訴え、学童保育を創設しました。目黒区の保育需要が増えるにつれ今後はますます学童保育の必要性は高まるでしょう。