双葉の園の大事にするところ
◎平和の教育
私たちが保育をする目的は、広い意味で平和な世界を作るために行っているといっても過言ではありません。
私たちが育てる子どもたちは次の世代を担ってくれる大事な人たちです。
双葉の園のモットー、人には優しい心・自分には強い心・自立心・創造力のすべてが平和な世の中を作ることに向かっています。
乳児期の保育が大切と言うのは、弱い立場の人を守るのが双葉の基本的な立場だからという面もありますが、一般的に三つ子の魂百までもというように、0歳から2歳児クラスまでの成長の著しさと吸収力を見ると乳児期が人の一生の基礎だという事が納得できます。
人格形成に大切な乳幼児期に、優しく声を掛けられ、自分の気持ちを伝えられる経験をした人たちは人を思いやる気持ちを持った自立心のある人に育つでしょう。このような子どもたちの作る未来に希望を託して私たちは保育をします。
◎子どもの安心感
大きな存在から常に見守られ、守られているという安心感が小さい子どもには必要です。
子どもが安心できる存在としては、保護者であり、いつも近くにいる保育士かもしれませんが、双葉の園はもっと大きな存在を意識しています。
この世の法則、この世の善意・・・、私たちを常に見守っていてくれる存在があると信じられ、自分が常に守られているという意識があれば、安心して子ども時代を過ごせます。
もしも将来なにかつらい時があっても、逆境に当たっても、この子どもの頃に安らかに眠り、見守られて育ったという記憶が心の底にあれば、乗り越え立ち直る力が湧いてきます。
双葉の園で、食事の前に自然に感謝し、見守ってくださる人々に感謝して、「だいちのめぐみにかんしゃして・・・」というのはそのような意味からです。
双葉の園では、成立の時の心を折に触れて感じる機会を得たいと考えています。
私たちも大きな存在から守られています。
◎子どもの権利条約
子どもの権利を認め、一人一人を尊重するのは保育園の使命であり、平和の教育です。
・子どもの最善の利益
保育園では現在の時点で何がその子(子どもたち)にとってプラスになるのかを優先して考えます。
・子どもの意見表明権
現在の保育の何よりも大切にしなければならない行為は、もはや話すこと・説明すること・伝える事にあるのではなく、聞くことの中に存在しています。
私たちは子どもの声に耳を傾け、子どもが発することのできない声も感じ取れるように努力しています。
園長 西 大記
名称 | 社会福祉法人双葉の園 双葉の園保育園 |
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所在地 | 〒153-0044 東京都目黒区大橋2-16-6 |
TEL | 03-3465-0270 |
FAX | 03-3465-7305 |
創立者 | 本田 トヨ キリスト教婦人矯風会会員・全国母子保護連盟 (現・全国社会福祉協議会母子福祉部会)初代会長 |
令和元年7月 | 双葉の園の沿革 創立者 本田 トヨ キリスト教婦人矯風会会員として福祉活動に従事 1931年 目黒区東山に『双葉の園』・「家庭学校」(通称花嫁学校)と付属の双葉の園幼稚園を設立。 1944年 第二次世界大戦で建物消失、事業を閉鎖する。 1945年 戦災、引き上げ母子の住居確保のために旧陸軍兵舎を借り受けて改造し母子寮を設置、同時に生活安定のための授産場を設立。 全国的に母子保護を訴え、政府に要請。母子保護連盟を結成し、戦災遺族、引揚者、傷病者のための法的措置設置のために全国的に活動を行う。 1948年 目黒区大橋の現在の地に「双葉の園」再建 1952年 双葉の園の園児数400名を超える。 双葉の園別館落成 1970年 鉄筋5階建て園舎改築 2歳保育開始 1990年 1歳児保育開始 2002年 園舎改築落成、(旧園舎老朽化の為)0才児保育、延長保育、一時保育を開始 2006年 法人名を 社会福祉法人 婦人生活文化協会から社会福祉法人 双葉の園に変更 2011年4月 新園舎増設、産休明け保育実施 2011年10月 一時保育室設置 2017年3月 野のゆり保育園落成 2017年4月1日 野のゆり保育園設置、認可 2019年7月1日 子育て広場 小さい花の家設置 施設規模 ☆ 敷地面積 3489,64㎡ 延床面積1,380,21㎡ 大園庭 548,47㎡ 小園庭 224,10㎡ |
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双葉の園の歩み 双葉の園は、1931年に目黒区上目黒六丁目(現東山一丁目)にあった警察宿舎内に建てられました。当初は家庭学校(通称、花嫁学校)と授産・購買組合があり、家庭学校では、加藤シヅエ(婦人解放運動家、初の女性衆議院議員)が公民の授業を受け持ち、後に市川 房江(婦人参政権運動を主導、参議院議員)がそのあとを担うなど、驚くほどの人材が集まりました。付属の双葉の園幼稚園が建てられました。 創立者の本田トヨは、キリスト教婦人矯風会会頭の矢島梶子(横井小楠義妹・女子学院初代院長)の薫陶を受け、弱者救済、廃娼運動を行うなど社会福祉事業の活動をし、婦人生活文化協会を設立しました。 婦人生活文化協会は、女性の教育を行い、女性が安心して働ける職場を作り、幼稚園、下校後の小学生の保育、老人ホームなどを設立することを考えて創立されました。 戦後、家庭学校の卒業生の多くが戦争未亡人となり、家庭学校の焼け跡に頼ってきましたので、本田トヨは、母子保護連盟、未亡人連盟という組織を結成し、遺家族、罹災者、失業者、数十万人の戦争未亡人の生活安定、子女の教育等に力を尽くし、社会に働きかけ、国政に働きかけることで、当初の夢をある程度実現しました。 1948年には児童福祉法が制定され保育園制度と母子寮制度が出来ました。これには本田トヨの働きが大きかったという事を聞いています。 保育園制度ができた年に、双葉の園も保育園になり、母子寮もできました。保育園になったものの、幼稚園も継続していましたので、今でいう子ども園のような形態が長く続きました。 2002年に園舎の新築があり、母子寮は設立当初の目的は果たしたとして廃止になり、現在は保育園のみ経営しています。 法人の名前も婦人生活文化協会では実態と合わなくなりましたので、保育園とおなじ「双葉の園」になりました。 保育と保育を取り巻く環境が大きく変わってきましたが、私たちは双葉の園の創立者の思いを受け継ぎ,弱い立場の人を援助し子どもの成長を大切に見守っていく姿勢は貫きたいと考えています。 二代前の園長の本田早苗は、目黒区に学童保育の必要性を訴え、学童保育を創設しました。目黒区の保育需要が増えるにつれ今後はますます学童保育の必要性は高まるでしょう。 |